■山田館の歴史
それは昔、まだ伊勢市が宇治山田市と呼ばれていまして山田(外宮領)宇治(内宮領)に分かれお互い栄えておりました。
明治の時代に入り参宮鉄道が敷かれ山田駅から伊勢神宮外宮まで約300mの参道が出来まして、旅館 食堂 土産物店がたち並び路面 電車も通りそれはもうすごい賑わいの山田駅前通り旅館街の誕生です。
これまでの歩いたり、水運を利用した旅行から大量運送 鉄道旅行の幕開けです。大正初期に食堂兼旅館を初代が始め、この山田地区から屋号を頂戴し山田館を始めました。そして昭和2年真ん中の古い部分を残し木造三階建を篠崎工務店の施工で増築しました。(右写真が当時のものです)伊勢神宮のお客様でたいへん繁盛したそうです。
当時は大工の棟梁の腕の見せ所でこの通りは、木造の旅館が軒を並べその姿は勇壮なものでした。数ある旅館の中で戦火を逃れたものの昭和30年代に入り旅行の形式がモーターリゼ―ションの発達でバス、車旅行主体になり、伊勢市駅にのり入れる国鉄の本数が極端に減り、いつしか東京から伊勢への直通
列車もなくなりました。
昭和40年代に入り周辺の観光地に大規模なホテル旅館がたくさん出来次々と老舗旅館が廃業し、この参道には現在山田館とつるや旅館の2件になってしまいました。しかし何度もの時代の移り変わりを経て残ってきたのはお客様を大切に誠心誠意おもてなしの心で、頑張ってきた結果
と自負しております。
ひょっとして旅館のおやじしか脳がなかったのかもしれません。
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